いずれも独立行政法人国際協力機構(JICA)の事業を通じて、調査、支援を行いました。
【支援プロジェクト】
- ビエンチャン市における医療廃棄物を中心とした有害廃棄物処理・管理改善に向けた普及・実証事業
- ビエンチャン市における医療廃棄物を中心とした有害廃棄物処理・管理改善に向けた案件化調査
- セタティラート大学病院医学教育研究機能強化プロジェクト・フォローアップ協力
- セタティラート大学病院医学教育研究機能強化プロジェクト
1. ビエンチャン市における医療廃棄物を中心とした有害廃棄物処理・管理改善に向けた普及・実証事業
(1)案件概要:ビエンチャン市では、「廃棄物処理条例」の制定に向けて体制整備を進めており、廃棄物処理の状況は改善されつつあるが、医療廃棄物については、依然として処理能力を超える廃棄物が未処理のまま埋め立てられるなど、不適切な処分が発生している状況にある。本事業では、JICAから委託された加山興業(株)が独自の「統合廃棄物処理システム」を運用し、より安全かつ効率的に医療廃棄物処理を実現することを目的としています。ICMEは、2016年~2017年の案件化調査に続いて、専門家として同社の業務の一部を担当しました。
(2)契約形態:受託事業
(3)契約期間:2018年12月15日~2020年8月31日
(4)業務内容:「医療機関連携促進/院内調査」専門家として大西弘高講師が業務を担当。現地業務:16日間、国内業務:12日間
2. ビエンチャン市における医療廃棄物を中心とした有害廃棄物処理・管理改善に向けた案件化調査
(1)調査の目的
医療廃棄物の排出元である医療機関における医療廃棄物の情報収集、医療廃棄物を含む有害廃棄物の収集運搬、中間処理、最終処分の情報収集、医療廃棄物を含む産業廃棄物の市場調査を行い、ODAを通じた提案製品の現地活用可能性、及びビジネス展開計画の策定を行うことを目的とする。
(2)業務内容
本調査をJICAから受託した加山興業株式会社の調査チームに、大西弘高講師が「医療機関連携促進/院内調査」業務担当として参加した。現地業務:21日間、国内業務:13日間
(3)契約形態:受託研究
(4)契約期間:2016年11月4日~2017年9月29日
3. セタティラート大学病院医学教育研究機能強化プロジェクト・ フォローアップ協力
「ラオス国セタティラート大学病院医学教育研究機能強化プロジェクト」では、プロジェクト目標や成果指標は概ね~ほぼ達成された。ただ、セタティラート大学での運用は定着したが、他の教育病院や地域病院での運用は開始されたばかりであり、制度として定着されるには、更なる改善や継続したトレーニングが必要であり、これまで技術協力した内容をフォローする必要があった。具体的には、保健省・保健科学大学関係者を巻き込んだ議論の場(例えば、全国的な医学教育に係るワークショップ、セミナーなど)の支援が急務であり、本体案件終了後、長期にブランクが空く前に梃入れすることが肝要と判断された。
専門家派遣
大西弘高講師が総括/医学教育のJICA専門家として、2011年11月29日~12月21日、2012年1月18日~2月2日の2回現地へ派遣され、保健省、保健科学大学、ビエンチャン市内4 教育病院と5 県病院からの関係者を集めて、2回のセミナーとワークショップを開催した。
第1回セミナーでは、本体案件にて普及してきた臨床教育のチームアプローチ(現地ではMTU:medical teaching unitとTMC:training management committeeとして知られている)が特に県病院で上手く根づき、よい制度であると認識されている様子が明確になった。このような現状を、今後も確立されたものにしていくため、臨床教育ガイドラインを策定することが話題となり、大西講師がその重要なガイドラインを英語で下書きすることになった。
ワークショップでは、このようなガイドラインが必要かどうかについての議論を推し進めることになり、現状の問題を改めて議論してもらった。問題点は大きく分けて3つであり、①教育用の部屋・予算・教員・教材・コンピューターやインターネット・図書や図書館などのリソースの圧倒的不足、②保健省や大学から教育病院に学生を送ることに関し、業務・責任分担などの不明瞭さ、③卒業に向けた総括的評価の内容やシステムの不明瞭さ、との結果となった。これらを改善するために、ガイドラインが議論の取りかかりになるとの意見で一致した。
第2回セミナーでは、セタティラート病院前院長および保健科学大学前学長であったDr. SomOck保健副大臣を交えて、上記のような問題点を再確認し、解決の方向性を探った。保健省や大学が様々な役割を担う必要があること、大学では教育開発センターが教育の全権を握って改善を図ること、教育病院の教育機能を見直すことといった方向性が打ち出された。改めて臨床教育ガイドラインが不可欠であることが確認され、大西講師の書いた内容を基盤にして2~3ヵ月以内には省令として発行する方向となった(一部2012年の内容を含む)。
4. セタティラート大学病院医学教育研究機能強化プロジェクト
1. 概要
目標:セタティラート病院の教育病院としての臨床研修に関する知見の拡充、臨床研修体制の改善、臨床研修の指導医の能力強化を通じ、保健科学大学医学部生の臨床実習と医学部卒業後2年以内の医師の卒後早期臨床研修の質を向上すること。
期間:
2007年12月~2010年11月(3年間)
契約形態:
共同企業体(代表:東京大学、構成員:システム科学コンサルタンツ株式会社)
2. 現地活動(専門家活動)
北村聖教授(当時)、大西弘高講師、錦織宏講師(当時)が2007年度~2010年度に現地活動を行った。
第4次(2010年度)
第3次(2009年度)
2009年6月にはJICA本部によるプロジェクト中間レビューが実施された。成果についてはまずまずの評価を受け、当初計画の一部変更、特にプロジェクトの対象としてセタティラート病院だけでなく保健科学大学を主体的に巻き込むことなどについて、カウンターパート側とも合意した。
研修管理委員会の継続実施、図書館利用促進、ポスターやニュースレターによる広報、診療録記載の促進は順調に進んでいる。臨床研修センターは、設備や機材の調達が遅れたが、カンファレンス室としての機能を中心に利用頻度が増えつつある。また、カルガリー大学との協力による臨床技能ガイドブック、診断アルゴリズムハンドブックの編集、身体診察学習用DVD(5巻)の作成も行われ、教育内容も一層の充実が図られている。
2009年秋の新学期には、医学部6年生の臨床実習が一部地方の県病院で行われるという情報が入ったため、ビエンチャンで実施した指導医研修ワークショップで中心的に発言してきた医師、本邦研修を受けた医師などと共に、ラオス医学教育推進プロジェクトと銘打った指導医研修をビエンチャン市内、各県病院にて展開した。2009年度の指導医研修は、1回2日間(最初のみ3日間)で実施され、11回を数えた。その後、少し開始が遅れたが2010年1月から医学部6年生の臨床実習が4カ所の県病院を含めて順調に進んでいる。また、2009年度からは医学生が指導医を評価するシステムも開始され、自立発展可能なシステムが徐々に完成しつつある。
これらのシステム自体は、ラオス保健省を中心にMTUと呼ばれることが多い。我々がMTUを県病院で展開し、県病院指導医へのインパクトが大きかったことにより、MTUシステム自体がラオスの地域保健の鍵を握っているのではないかという発言が保健大臣を中心に聞かれる機会が増えてきた。すでに、2011~15年の第7期保健政策中期計画にもMTUという用語がみられるようになってきているため、この流れが画餅に留まることのないよう一層の活動を迫られている印象である。
第2次(2008年度)
4月に4名の指導医を日本に招いて国別研修を実施した。この研修は、アフガニスタン医学教育プロジェクトの一環として実施されていた国別研修と相乗りする形で実施され、様々な相乗効果をもたらした。また、研修を終えたラオス側のメンバーは、その後プロジェクトの牽引役として様々な活躍を見せている。
6月には研修管理委員会を組織し、院内教育システムとして医学教育ユニット(MTU)という病棟でのチームづくり(医学生、研修医、指導医からなる)を推進した。医学生はいわゆるクリニカル・クラークシップの形で救急当直などもこなすようになり、カルテ記載や症例プレゼンテーションを主な業務として行うようになった。
第2年次には、タイで用いられている医学教育テキスト、臨床倫理に関するテキストを導入し、ラオ語訳するなど普及に努めた。また、図書館の整備、臨床研修センター(スキルスラボとカンファレンス室の機能を兼用)の建築も推し進めた。
教育技法については、指導医研修ワークショップや医学教育セミナーによって普及を図った。この時点ではまだ大々的な展開ではなく、どのような内容、どのような教育方法で実施するのがよいかを探りつつ実施されていた感が強かった。
第1次(2008年度)
2007年12月からの4ヶ月と期間が短かった。主な業務は、ベースライン調査の実施であった。以下は調査結果の概要である。
活動対象となっていたセタティラート病院は、2000年に日本の無償資金協力で建て替えられたときにビエンチャンの郊外に移転された経緯がある。その頃は、ビエンチャン市の病院であったが、2004年にはラオス国立大学医学部の教育病院として保健省から教育省に移管された。180床弱の規模であり、他の3つの教育病院と比べて新しいことからも、活動性が高いとは言えない状況であった。
保健科学大学は、2007年5月にラオス国立大学医・歯・薬学部の教育省から保健省への移管によって生まれた大学であり、ラオス国内で唯一の医学部である。学生数は、1学年100名弱であったものが、近年入学者が500~700人に増加しつつあり、医師として働けない卒業生が将来急増することが危惧されている。
セタティラート病院の指導医については、指導技法について学んだ経験があまりないという問題も大きかったが、留学や国内研修で得た知識や技能を、それ以上各自が伸ばすことなく、経験や勘に基づいた医療を展開している印象であった。また、各自の年代によって留学先が異なり、旧社会主義圏、フランス、英語圏のそれぞれで学んだ者にとっては互いの議論が十分にはできない可能性も感じられた。
よって、活動はまずは教育技法や教育管理方法(how to teach)を広めるが、同時に基本的臨床能力に関する知識や技能(what to teach)も教材作成などによって標準化していく必要があると痛感した。